「高耶さん?」
直江が景勝の死の真相に行き当たったあと、紆余曲折を経て直江は景虎のことを、公的な場面意外では高耶さんと呼ぶような関係になっていた。
「直江…」
執務用の机に肘をつき、空を見詰めていた景虎に直江が声をかける。
「どう、されました――?ぼぅっとしていらしたみたいですが」
「何もかも、変わってしまったな、と思って……」
なぜ景虎がいきなりそのようなことを言い出したのか、フッと目に入ってきた今日の日付で得心がいった。今日は7月23日。景虎の生まれた日だ。
古い文献などには、誕生日を盛大なパーティーで祝っていた時代もあったようだが、今の時代身内でささやかに祝うのが慣例だ。
しかし、景虎は景勝と出会うまで、誕生日を祝うことを知らなかった。それは、小太郎や景虎の実母たちは景虎の誕生日を祝うような人物では無かったからだ。景勝は毎年直江や母、近しい者たちとささやかながら晩餐を楽しんでいた。景勝が景虎と出会い、景虎が誕生日を祝ってもらったことがないと知ると、自分が他の者たちの分まで祝ってあげる!!といってせっせと毎年準備をしていたのが思い出される。去年は景勝と直江で景虎の誕生日を祝った。だが、今年は景勝もいない。直江も今の今まで忘れていて何も準備などしていない。
「いろいろあった一年でしたからね」
直江も感慨深く言う。
「あぁ……」
「そうだ!少し、付き合ってもらえますか?」
「?」
高耶は突然の直江の申し出に戸惑いを現す。
「今日は急ぎの案件はないでしょう?よかったら、美味いところに少し早いですが食事に行きませんか?」
「……」
普段、館の外に景虎がでるのによい顔をしない直江がいきなり外出を誘うのだ。高耶は戸惑う。
「長秀の奴に美味い店を聞いたんですよ」
直江に優しく微笑まれてしまっては、、高耶はうん…と頷くしかない。
「じゃあ、着替えてきましょう」
直江はどんどん話を進めていき、高耶はぽややぁんと目をパチパチさせる。
直江は高耶を促し、景虎の自室に連れて行く。部屋に入り、着替えを手伝おうとした直江に、ハッと高耶は正気を取り戻し、慌てて押しとどめた。
「なっ直江!!自分でできる…!!」
「そうですか?」
直江は少々残念そうな表情を浮かべ、高耶の着ていたシャツから手を外す。
「ぅ゛〜〜」
子供扱いされたと思った高耶は唸りながら、直江を威嚇する。
「私も着替えてきますので、早く支度をして下さいね」
クスクス笑いながら直江は隣の自室に引き上げる。
数分経ち、高耶もいつも外にお忍びで出かける服に着替えると直江が部屋に入ってきた。
「用意できました?」
「ああ……」
二人、街中に出てきていた。
「直江、どの辺なんだ〜?」
高耶は帽子を目深にかぶり、少しでも上杉景虎だとバレないよう気を遣いながら歩いている。しかし、横の男直江信綱の大きな体躯と男前な容貌のせいで人目をかなり惹いていた。
「もうすぐですよ。……あぁここです」
通りに面したとある店の前で直江が立ち止まる。「赤鯨衆」と暖簾を出した庶民的な店構えのだ。
「ここ……?」
直江がこういう庶民的なところに連れてきてくれるなんて、と高耶は内心驚いていた。
「新鮮な刺身など食べさせてくれるのですよ。好きでしょ?刺身」
「あ…ぁ」
戸惑いながらも、直江に背中を押され暖簾を潜り店の中へ入る。
「いらっしゃい!!」
「おんしら初めて見る顔じゃな?」
少し厳つい感じの長髪の男が厨房に立っていた。
「あぁ千秋の紹介で来たんだが…」
直江が高耶の後ろから応えを返す。
「おぅ!千秋の!?」
パッと表情が崩れた。
「まぁ座れ座れ!!」
早速カウンターの席を勧める。
「今日はイイのがはいっちょるんじゃ!!」
高耶たちは勢いに押され、いつの間にかカウンター席に並んで座っていた。
「何がいいがか!?」
「まかせる…何か美味いものを」
「千秋のダチじゃ!腕をふるっちゃる!まかせちょれ!!」
男はカウンター席からも見える位置にある水槽から魚を網で引き上げると、手早く捌き始める。忙しく手を動かしながらも男は話しかけてくる。
「おんしら、名前はなんというんじゃ?」
「高耶だ」
「私は橘だ」
直江は本名を名乗るわけにはいかなかったため、適当な偽名をつかった。
自分一人ならば構わないが、本名を名乗ったことで最悪千秋や高耶まで害が及ぶことも考えられる。慎重になるのは当然だ。
「わしは嘉田じゃ。嘉田嶺次郎、贔屓にしとうせ」
話ながらも器用に魚を捌いていく。あっという間に目の前に活き作りが置かれた。
「高耶。美味いがか!?」
忙しなく箸を運ぶ高耶に嶺次郎は尋ねる。
「ああ!!」
高耶は滅多にない笑顔で応える。
直江はその笑顔に、少しの嫉妬と、大きな満足を覚える。
嘉田もその笑顔につられたのか、ちょっとした小料理を次々と出して勧めてくる。
「これも食べ!!」
美味い美味いと言いながら高耶は出されたものを全て食べてしまった。
直江も高耶の隣で美味い料理に舌鼓を打ちながら高耶を見詰めていた。
「よく、食べましたね」
実際高耶が食べた量はゆうに一人前を超えていた。
「昼、よく考えたら食い損ねたからなぁ〜」
高耶自身、自分が普段よりかなりの量を食べた自覚があるのか苦笑を零す。
「それにマジ美味かったし」
ふぅ〜と溜息を吐きながら、チラッと視界に入ってきた時計が2時間近く店に居ることを示していた。
「やべっ!?な…じゃねぇ、橘!そろそろ帰ろ〜ぜ!!」
「そうですね。さすがにこれ以上は…」
「嘉田!!マジ美味かったぜ!」
「もう帰るがか!?」
少し残念そうな顔で嶺次郎は応える。
「今日は何も言わずに出てきたからな。さすがにこれ以上遅くなると…」
苦笑を零しながら、また来る、と嶺次郎と約束する。直江はその横で会計を済ませ、二人店を出る。
「満足……してもらえたようですね」
直江は微笑みながら尋ねる。
「ああ…サンキュ……」
高耶はなぜか涙が出そうになり、直江に顔を見られないよう俯く。
「高耶さん?」
俯いた高耶に直江は優しく声をかける。
「夢…みたいだ……」
「ぇ……?」
直江は高耶の言わんとするところがわからず、首を傾げた。
「お前と、今こうしていることが……さ。何か夢みたいだなぁ〜って」
「夢ではありませんよ。来年もそのまた来年も、どちらかが死ぬまでこうしてあなたの誕生日にはどこかに食事に行きましょう?」
「本当……に?」
不安そうに高耶は瞳を揺らしながら、顔を上げ直江を見詰める。
「ええ…この世の全てのものに誓って」
厳かに直江は囁く。
自然直江の手は高耶の頬を滑り、二人の唇が触れ合う。
常にあなたの隣には私が居ます……
この人を生んでくれたこの世界には最大級の感謝を――
空には星が瞬き始めていた。
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