紫紺の夜明け


波紋

「今日こそ首を縦に振っていただきます!」
 定例の会議後、退出しようとした高耶に、家臣の一人安田実秀が声を掛けてきた。
 それに高耶がいつものことと、鬱陶しそうに首を振る。
「今の私に、そんな気はないと何度言えば解ってくれますか?」
「そう仰られても、早く後継者を作っていただけない限り、私たち家臣も枕を高くして寝られません!」
「私が今すぐどうこうなるとでも?」
 その、人を従わせる瞳で見詰められた実秀は、思わず言葉を詰まらせる。高耶の言葉に、邪推すれば、何か謀反を企んでいるのでは? と疑われる内容だった、と気付く。
「そうではありませんが、万一何かがあったとき、どうなさるおつもりですか?」
「……北条の血が入っていない血縁を養子にすればいい」
 実秀は高耶の言葉に絶句する。
 安田長秀の父、実秀は景勝派の重鎮だった。その心は、上杉を心底心配してのものだったと知っている高耶は、実秀の裏切りなど思ってもいない。だからこそ言える台詞が、実秀には嫌味でしかない。
「そのようなこと、私は望んでいません! 上杉の当主は景虎殿、貴方です。だからこそ、貴方の子が上杉を継ぐことが大切なのです」
 その言葉を背に、高耶は口うるさい実秀から逃げるように、執務室へ向かった。


――後継者、ね。
 高耶は独白する。
 自分が妻を娶り子を成す。そんな未来予想図など描いたことがない。高耶にとって、自分の血を引く子は恐怖だ。
 ただ一人、異端の《力》を持って生まれたせいで、何一つ得ることなく過ごした幼少期。
 その傷は、高耶の心にしっかりと根を下ろし、枯れることなく生い茂っている。
 美奈子や譲や直江に出会い、癒されていると思った途端、自分の手で全てを台無しにしてしまった過去。現在高耶の手元に残っているのは直江だけ。
――そんなオレに、人の親になる資格などない。
 落ち込む高耶は、直江の存在に気付かなかった。
「大丈夫ですか?」
 暗い表情の高耶の顔を、直江が覗き込む。
「! あ…あ」
 高耶は慌てて表情を取り繕う。
「実秀殿の言葉を気にされているんですか?」
 先程、直江は色部との打ち合わせのため、高耶から多少離れたところで、実秀の言葉を聞いていた。
「いや――大丈夫だ」
 無理に表情を取り繕う高耶に、直江はあえて見て見ぬ振りをする。
 いまだ癒えない傷跡を、中途半端にこじ開けることしかできないならば、見て見ぬ振りをするのが一番だから。
 十数年血を流し続ける傷跡が、昨日今日で癒えることなどない。これから、同じ以上の時間を掛けて、癒していけばいい。
「先程色部さんと話していて、気になる話を聞きました」
 直江は高耶に報告する。
「最近、城下にて人が行方不明になる事件が多発しているそうです」
「行方不明?」
 眉を顰める高耶に直江が肯定する。
「領民は神隠しだと言っていますが、焦臭い噂もあるようで……徹底的に調査する必要があると思われます」
「わかった」
 直江の進言を重く受け止め、高耶はすぐに対応を考え始める。
「八海を呼び出してくれ」
 その高耶の命令に、直江は即座に動き部屋の外に出て行った。

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