朔の里
 その日は月のない日だった。
 外は風が強く、不気味な音が響いていた。里の者はみな、夜の闇を怖れ家の戸を閉め、閉じ籠もり、直江もまた、その日は家に籠もり藁で蓑を編んでいた。


 翌朝、昨夜の不気味な風もなりを潜め、すがすがしい朝を迎えていた。
 直江は、昨夜の風で森に仕掛けている罠が壊れていないか確かめるため、森を訪れていた。壊れ掛かっている物は修理し、そうでない物はそのままに、一つ一つ丁寧に調べて行く。昨夜の風では流石に動物たちも住処に籠もっていたとみえ、獲物は一匹も掛かっていなかった。数十カ所を回り、ようやく最後の一つになったとき、遠目にも何かが蹲っているのを見つける。
 何か獲物が掛かったのかと直江が走り寄ると、それは人の形をしていた。けれど、その格好は薄汚れ、髪は伸び放題、極めつけは服を着ていなかった。物の怪の類かと近寄るが、どうもそのような風情でもない。人と獣の間の子のような。
 意識を失っているようだったので、直江はそれを担ぎ上げ、自分の家に持ち帰った。
 その獣に首輪を嵌め土間の柱に括り付ける。器に水を入れ、獣のすぐ側に置き、さて、と獣を見て思い付く。薄汚れたその体を綺麗にするための布を探し、桶に水を汲む。
 それを持っていまだに気が付く気配のない獣に近づく。
 けれど、途中で気が付かれても困るため、両手両脚をそれぞれ紐で括り付け、身動きを封じ、拭浄に取りかかる。
 こびり付いたようになかなか取れない汚れを根気強く落とし髭を剃ってやると、そこには美しい面をした若者の顔が現れた。都の貴族もかくや、という風情だ。体が綺麗になった若者を眺め、さて、と考える。綺麗になったと云っても、髪の毛は今だそのままだ。ごわつきあちこちに飛び跳ねていてるそれらを何とかする方法はないかと思案するものも、屋内では限界がある。井戸の傍らへ連れて行き洗ってやるのがいいのだろうが、その間に目を覚まされても困りものだ。取りあえず、と小刀を持って来、伸びきったそれに当てる。蚤や虫はいないようだが、長いままだと櫛で梳くことも出来そうにない髪は、一度切ってしまった方が早いと思ったのだ。綺麗な状態でもう一度伸ばせばよい。根気よく少しづつ短くしていき、ようやく見られる程度に収まった頃には二刻は過ぎていたか。太陽の位置も、朝から昼に移り変わりつつあった。
 昼の光りに照らされた裸体は、人と変わらぬすらりとしたものだった。多少筋肉の発達の仕方が異なる気もしたが、それも取り立てて、というほどではない。美しく引き締まった姿態だ。このものは一体どういう存在なのだろうと、興味深く観察する。邪気の存在を感じることはない。獣のような形もなくなり、見た目は人の子と変わらぬ。
 いまだ、目が覚める気配はない。直江はしばらく考え、いくら思案しても分からぬ正体に見切りを付け、立ち上がる。今だ裸であった「それ」に小袖着物を掛けてやり、隣の部屋へ移動する。読みかけの書物を広げ、一日の日課である読書を始めると、拾ってきたもののことなどいつの間にか忘れていた。

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