朔の里
ふと物音で気が付けば、日が西に傾き掛け昼の日から夕日へと変わり行く時間だった。物音の原因を考え、今朝拾ってきたものを思い出す。
長時間同じ姿勢でいたせいで凝り固まった体を解しつつ立ち上がる。
物の怪を繋いだ部屋へ向かいひょいと覗く。どうやら気が付いていたらしく、物の怪と視線が合う。「ぅ…ぅ…」と唸り声とも呻き声ともつかない音を発するそれに、人語を解さない可能性も考えつつ、直江は声を掛ける。
「気が付きましたか?」
「ぅう゛うぅ〜〜」
返ってきたのは唸り声のみ。その体に獣と同じように毛があれば、まさに体毛を逆立てていただろう。そんな様子だった。
警戒心剥き出しのその様子に、こちらに害意はないことを示しつつ、徐々に近づいていく。けれども、近づけば近づくほど、それは唸り声を上げ、警戒を強めていく。ある程度の距離まで近づき片膝を着いた直江は、威嚇するそれの瞳を見てやはり妖や物の怪の類だったかと納得する。
それは決して人ではあり得ない色彩を纏っていた。右目は普通だったが、左目が異様なほど赤かったのだ。血のように赤い瞳。穢れを纏うそれに一瞬眉を顰め、立ち上がる。
四方に視線を走らせ、屋敷内の気配を探る。他に不浄の輩が忍び込んでいないか確認し、結界を強化する。幼き頃より見鬼の才のあった直江は、その才故に約束された道を進むことが出来ず、魑魅魍魎溢れる都では落ち着いて生活さえ出来ず、鄙へと移り住んでいた。
人の邪心渦巻く都で心穏やかに過ごすことなど不可能だった昔と比べ、鄙での生活は偶に紛れ込んでくる妖の子供などに目を瞑りさえすれば、遙かに穏やかな日々だった。
稀に迷い込んでくる妖を遮るために張っていた結界を強化し、この妖に誘われ、他の妖が集まってこないよう屋敷内の気配を外界から絶つ。そうしておいて、さて、腹が減ったなと考える。人と触れあうことさえ厭になり、この鄙へ移り住んでから屋敷には下女を置いていない。屋敷の手入れや食事の支度などは全て式にさせていた。
式と言えども優秀で、そこらの賤の者などより遙かに使える。その式を呼び出し、飯の支度を命じる。そうしてから、また妖を覗き込む。気性が荒いのか先程からずっと睨まれている。
「そのように警戒しなくても、取って喰べたりはしませんよ」
噛まれないよう注意しながら妖に手を伸ばす。言葉を理解しているのか、その妖は直江の動きを警戒しつつ窺い、直江の掌が頬をなでるのを甘受している。
「腹は空いていませんか? もうすぐ食事が運ばれてきます」
この妖が何を食すのか判らなかったため、式には人と同じものと肉を用意させていた。それが、そろそろ運ばれてくる頃だろう。
そう思ったとき、丁度式が主の意向通りしずしずと食事を運んできていた。式は何も言わずとも直江の意を汲み、食事を二人分置いてまた出ていく。妖の前には直江と同じものと、切り分けられた肉が置かれた。妖は目の前に置かれた食事を、警戒しつつ鼻先を近づけ臭いを嗅いでいる。直江はそれを横目に見つつ、箸を取る。直江が食事を始めると、妖はジッと観察する視線を向けてきた。直江が次々と料理を租借していくと、妖も腹が空いていたのだろう。直江が食べている料理に鼻先を突き入れ、食べ始めた。そうして、直江の食事が終わる頃、妖も満腹になったのか満足げに息を吐き出し、体を丸めていた。
妖が残した料理を見ると、葉物は食べないようだ。肉や魚、穀類が綺麗になくなっており、山菜などが残されていた。明日からは、肉や魚、穀類を中心に用意させようと決め、妖を見る。その様に、形は人でも犬の妖なのかも知れない、と思う。
着せ掛けていた小袖着物はすっかり隅に丸まっており、着物を着る習慣がないことを物語っていた。けれど、そのままでは風邪を引きかねないと思った直江は、着物を上に掛けその部屋を後にした。
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