「景虎様…こちらでしたか……」
今回高耶は隣国の北条の領地に建設されている、母の屋敷の建設現場の視察に外交も兼ねて来ていた。
「小太郎…」
現在は景虎のお目付役を解任され、景虎の母の側に仕えている小太郎も、母の名代として同行していた。
「氏政様がお探しでしたよ?」
「氏政殿が?」
会談も終わり、現在酒宴を催している最中のはずだ。その最中に現在同盟を結んでいると言っても、いつ状況が変わるとも知れない敵国の当主の呼び出しとは……
何かあるのか…?
「…わかった。会おう……」
「では…」
早速案内しようとする小太郎を、高耶は押し止める。
「待ってくれ…先に直江に言ってから行く」
「わかりました」
無表情に返事をする小太郎の目の前を通り抜け、高耶は宴の席に戻る。
そこには、年上の北条の家臣に捕まって酒を飲まされている直江がいた。
「直江…?」
その輪に近づき高耶が直江に声をかける。直江も先ほどから近づいてくる高耶の様子が視界に入っていて、驚くことなく高耶に視線を向ける。
「どうしました?」
「氏政殿が話があるらしいから少し席を外す。あとを頼めるか?」
周りにいた北条の家臣達は、小太郎を伴った景虎の出現に早々に席を離れていた。
「氏政殿が?」
直江は「氏政」の名に眉を顰める。前回の遠近の企みを裏で手を引いていたのは氏政である。あの事件の記憶もまだ生々しい。その氏政からの誘いなど、ろくなものではないのだけはわかる。
「…私もご一緒してさせて下さい」
少し考えて直江は同行を願い出る。しかし、横から小太郎の声にその願いは阻まれる。
「それは無理だ。お一人で来ていただきたいそうです」
前の言葉は直江に、後の言葉は高耶に向けて言う。
「それを信じろと?」
直江は小太郎の言葉に、ここが氏政の用意した宴の場だということも忘れて、鋭い視線を向け尋ねる。高耶一人で来いなど益々怪しい。
「私もご一緒します。ご安心を」
「それで安心できるとでもっ…」
「直江」
高耶の咎める声に直江は口を閉じる。
「滅多なことなどないさ。…取りあえず行って来るから、あとを頼む」
「滅多なことが何度もあってたまりますかっ!?」と反論したい気持ちを抑える。しかし、前回の件もある。油断は出来ない。そう思えども景虎の異論を許さない命令口調に、直江も不承不承「諾」と頷くしかなかった。
* * *
「氏政様。景虎様をお連れしました」
小太郎の声に中から「入れ」と神経質そうな硬い声が響いてきた。
扉が静かに開けられ、高耶は室内に脚を踏み入れる。室内は主の性格を反映したように几帳面に整頓され、硬質な雰囲気を漂わせていた。
「景虎殿。わざわざご足労いただいて申し訳ない」
全く申し訳ないなどと思っていない表情で氏政が謝る。
「いえ…」
高耶も硬い表情で応える。硬い表情と言っても、緊張しているのではない。決して談笑が出来る相手ではないので、単に無表情に相対しているだけである。
「こちらにお掛け下さい」
指し示されたのは、氏政の正面に位置する椅子であった。
そこに無言で座ると、氏政と正面から向き合う。
「で、今日はどのようなご用件で?」
長居したくもない高耶は早速本題を尋ねる。
「そう警戒しないでいただきたい」
氏政はいかにも不自然さが漂う表情で苦笑する。
「私と景虎殿はいわば従兄弟同士。これからもお互い同盟国の当主として仲良くしていただきたいだけですよ」
高耶はその白々しさに笑いが出そうになる。確かに氏政の父と景虎の母が兄妹で二人は従兄弟同士だが、だからといって情があるわけでもない。かえって血縁があるだけやっかいな相手でしかない。
「それで北条と上杉が同盟を結んだのは私たちの父の代のことで、謙信公の死で叔母上もこちらに帰ってくる。これは私たちの代で新たに上杉と北条の絆を強くする必要があると思いまして」
そう思いませんか?と言う氏政の問いに、高耶は曖昧に返事をする。
「幸い景虎殿は独身でいらっしゃる。私の妹にちょうど一五になる姫がいます。これからも北条と上杉の仲の安泰の証に、もらってくれませんか?」
それは、氏政からの妹の結婚の申し込みであった。
「代わりと言っては何ですが、そちらからは美弥姫をいただきたい」
「な……っ」
この言葉には高耶は驚いた。「美弥姫」というのは、謙信の姉の子で早くに母を亡くし現在は恋人の下へ嫁いで幸せに暮らしている高耶より三歳年下の従妹である。
「いかがですか?」という表情の氏政に唾を吐きたくなった自分を抑え、高耶は努めて冷静な声を出す。
「お断りさせていただきます」
「どうして?」
氏政は「断る」という高耶の言葉が心底信じられない、という表情をする。
「美弥は今幸せな家庭を築いている。私にはそれを壊すつもりは毛頭ありませんし、私自身今はまだ結婚など考えつかないほどの若造ですので」
「別段結婚が早い年齢ではないでしょう?」
氏政は心底不思議そうに尋ねる。
「私には今は妻を持てるほどの甲斐性はないですし、第一他に大切にしたい者が居ります。それに、このような人質交換のようなことをせずとも、北条と上杉の関係は従兄弟同士の私たちがいる限り安泰だと思うのですが?」
高耶は一歩も引くつもりなく言う。実際美弥を政治の世界に巻き込むつもりなど一切ない。政略結婚など以ての外だ。自分としても、母を見て育ったのだ。そんな政略でもって妻をもらっても、どちらもが不幸になるのは目に見えている。
「そうですか……残念です。……が、そこまで言うなら仕方ないですね」
残念などと一切思っていないだろう声色で氏政が言う。
「用件はそれだけでしたら、これで失礼させていただきたいのですが」
「ああ。わざわざご足労いただいてすみません」
その言葉を合図に高耶は席を立ち、氏政に背を向ける。扉のノブに手をかけたところで、氏政から声をかけられる。
「上杉はまだ世継ぎがいないのでしょう?早いうちにお作りになられた方がよいですよ」
その言葉に高耶は振り返り、氏政に冷たい微笑を浮かべる。
「そうですね。ご忠告ありがとうございます」
* * *
付いてくるかと思った小太郎はどうやら氏政の下に残ったようだった。
「直江」
宴もたけなわなのか、皆よい具合に酒に酔っていた。
直江は高耶の声に顔を上げる。今の今まで、北条の家臣の話に相づちを打っており、高耶の接近に気が付いていなかった。
「私は部屋に戻るが、お前はどうする?」
周りに人がいるため、景虎の表情で直江に尋ねる。
「もうよろしいのですか?」
「ああ」
「でしたら明日も予定がありますし私も一緒に戻ります」
最後の方は、自分を捕まえて話さない家臣に向けて話す。
「そんな…まだよいではないですか?もう少しゆっくりして……」
「いえ。明日は氏康殿とお会いする予定ですのでこれで失礼させてもらいます」
「氏康」の一言に、その家臣もそれ以上強引には引き留められなくなる。
「そうですか……残念ですが、…では今回はこの辺で」
「ええ」
直江はにこやかに微笑しながら、高耶を「戻りましょう」と促す。それに頷いて高耶も直江を引き連れ部屋に向かう。
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