「景虎―――っ!!」
昼過ぎに館へ戻ると、晴家がいきなり突進してきた。
「おっ…おいっ!!」
それを受け止めながらも、焦る高耶にさらに晴家は抱きついてくる。
「心配したんだからね〜っ!!昨日小太郎から先に館へ直江と戻ってるって連絡あったのに、帰ってこないし、景虎からは連絡ないし…それに!襲われたって言うしっ!」
最後の晴家の言葉に、高耶は内心舌打ちする。心配かけまいとわざと黙っていたのに、小太郎はどうやらしっかりと館へ報告していたらしい。
「悪かった…。館へ帰り着く前に日が暮れてきたから、途中で泊まったんだ」
宥めるような高耶の声に、晴家がようやく高耶から離れる。
「みんな心配したんだからねっ!!今度からはちゃんと連絡してよ!」
「わかった」
晴家の方が高耶より幾ばくか年上のはずだが、その会話はまるで高耶の方が年上のようであった。高耶に抱きついている様子に、直江は多少面白くないものを感じながらも、じっと耐えていた。
「晴家。景虎様もお疲れだ。その辺にして少し休ませてくれないか?」
直江の言葉に晴家はハッと我に返り慌てて高耶から離れる。
「ごめんっ!…あ!何か温かい飲み物でも持ってくるねっ」
「執務室にいるぞ」
相変わらず騒々しい晴家の様子に、高耶は苦笑と共に安堵を覚える。そして、バタバタと去っていく背に声をかける。
執務室に入ると案の定、机の上は書類でいっぱいであった。それに内心溜息を吐きながら呟く。
「今日中に終わるかな…」
その高耶の視線は遠かった。
明日か明後日には小太郎たちも館へ戻ってくる。それまでには、溜まっている書類を何とかしないと、その後の処理までもがずれ込んでしまう。
「頑張りましょう」
直江も状況がわかっているため、高耶に励ましの言葉をかけつつ自分も励ます。
二人は旅支度を早々に解くと、晴家が持ってきてくれたお茶を片手に書類と格闘を始めた。
集中して作業をする二人は、時間を忘れて書類を片付けていく。けれども、書類が片づいたのは深夜といえる時間だった。
「終わった――っ!!」
高耶はきれいになった机に達成感を感じ、大声を上げて椅子の上で伸びをする。
「こちらも終わりました」
高耶に遅れること数分、直江もようやく書類から顔を上げる。
二人の表情は晴れ晴れとしていた。
「もうこんな時間ですか…」
直江は時計で時間を確認し、その時刻に驚く。約半日書類にかかりきりだったことになる。途中運んで来させた夕食を片手に書類を片付けていたといっても、さすがに時間を自覚すると空腹感がざわめき出す。
「お腹すきませんか?」
「…ぁあ」
高耶も直江に言われて空腹を感じ始める。
「では何か軽いものを用意させましょう」
直江はニッコリ笑い厨房に向かう。
直江の背を見送った高耶は、様々なことに思考を巡らせる。
北条との今後の付き合い。武田への牽制。特に北条は、今回の刺客を送り込んだのは十中八句氏政であろうことが予想される。小太郎はどうやら氏政の命で動いているわけではなさそうなので多少安心できるが、それでも完璧には信用できない。氏政だけなら潰すのは簡単だが、バックには氏康、氏政の傍らには優秀な弟がいる。それをどうにかしないことには、氏政率いる北条はびくともしないであろう。
さて…どうするか……
考えても良策は浮かんでは来ない。時期を待つしかない、ということなのだろう。
取り留めもなく考えていると、昨晩のことが浮かんでくる。
オレ…直江と……
今でも思いだしただけで顔が赤くなってくる。
直江の行動に戸惑ってはいたが、嫌ではなかった。その意味が解らないほど高耶も子供ではない。
やっぱオレも直江のことが…好き…なんだよなぁ
心の中で、長秀あたりが側でこの言葉を聞いていたら、嫌みの一つでも言われそうなことを呟いていた。
色々考えている間に直江が戻ってくる。
「高耶さん」
片手には温かい雑炊が載った盆を持って立っていた。
「うまそうだな…」
高耶は慌てて先ほどの思考を打ち消しながら、直江に向けて平静を保つ。しかし、その頬が少し染まっておりそれは失敗に終わっていた。
「顔が赤いですけど熱でも……」
「何でもないっ」
手を伸ばそうとした直江に、高耶は鋭く叫ぶ。
「そうですか」
一瞬表情を凍り付かせた直江であったが、無表情に告げる。その直江の変化を敏感に感じ取った高耶は慌てて顔を上げ直江をみるが、そのときには既に直江の目は高耶を見ていなかった。
「あ…直江…?」
二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
「ご…ごめん……」
高耶は俯きがちに直江に告げる。
「でも…お前がっ…お前だって悪いんだぞ……きっ昨日あんな…っことして……」
高耶の様子に、聡い直江は先ほどの高耶の反応の理由を理解する。
「私はあなたのことを愛していますから」
直江は高耶の反応も予測しながらも、クサイセリフを言う。
「………っ」
高耶の反応などお見通しの直江は、明日も早いんですからさっさと食べて休んでください、と有能な側付きの表情で告げる。
その言葉に高耶は直江から雑炊を奪うと、口の中で小さくいただきます、と呟きレンゲを口に運ぶ。雑炊は、猫舌な高耶を知っている直江がわざわざ食べやすい温度にして持ってきたのがわかるほど、口に合う温度であった。
おかげで高耶が冷ましながら食べる必要もなく、どんどん胃に流れていく。
直江は高耶が食べ終わったのを見届けて食器を受け取る。
「私はこれを下げてきますので、先に休んでいてください」
直江の言葉に高耶は素直に口に出せなかったが、頼む、ありがとう、と心で呟くと手早く片づけをして私室へ戻る。
旅に出てから初めて帰ってきた部屋の空気に、思いの外疲れていたらしく、どっと疲れが滲み出てくる。そうなってくると浴槽に湯を張っている時間ももどかしくなり、高耶はシャワーで汗を流すだけに止め、いつもの服に袖を通す。そして、隣の部屋に直江が戻ってきたのを音で確認しながら布団に潜り込む。布団からは僅かに直江の匂いもする。その匂いがすぐに高耶を眠りに誘う。吸い込まれる眠りの中、高耶は遠くで直江の体温を感じその温かさに身を擦りつけながら寝入っていた。
直江は掌に擦り寄ってくる高耶に苦笑を零しながら、その寝顔に魅入る。多分高耶としては無自覚なのだろう。今の高耶は直江の存在を失うことを極端に恐れている。それこそ直江が側を離れたら、自我を保てないのではないのかと思えるほどだ。直江も高耶のことは言えない。高耶が自分以外の誰かをみることなど、自分以外の誰かを寄せ付けることなど許せることではない。このままではお互いのためにはならないのはわかっているが、もう離れることなど考えられない。お互いがお互いを守るためには自分さえ犠牲にするであろう。
今回の事件だって明らかに景虎の命を狙ったものであった。そのことに直江も肝の冷える思いを味わったのだ。これからも景虎が上杉の当主である限り、同じような目に何度となくあうであろう。本音を言えばその座から引きずり下ろしてでも安全な場所に囲っていたい。しかし、それでは高耶が高耶であり続けないであろう。安全という檻の中ではこの魂は生きれない。ならば、せめて俺がこの人の盾になろう。そう誓う。誰にもこの人を傷付けさせたりはしない。守ってみせる。
高耶に触れていない左手は固く握りしめられていた。
空には白黄色の月が瞬いている―――
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