Backgroun by cool moon

ここは人類の文明が成熟し、荒廃を迎えている世界。かつて日本と呼ばれていた国は、数人の力のある者が治める複数の国が乱立していた。
「景虎様、勝手がすぎます」
景虎は館を抜け出し、領地内の探索に出かけるところをお目付役である小太郎に見とがめられる。
「小太郎……」
「今が大事なときなのです。自重して下さい。皆心配します」
「大事なとき、ね」
暗い表情だ。

俺の心配などしていないくせに。お前の心配しているのは俺が父上の跡を継げるかどうか。異腹弟の景勝を追い落とし、俺が主の座に着くためなら何でもするのだろう?それが氏康の命令だから。

景虎の母は隣国の北条から同盟の証に父に嫁いできた。対する景勝の母は上杉の分家から嫁いできた。北条の手前もあり形式上、景虎の母が正妻。景勝の母が妾とされていた。そこで、数ヶ月しか生まれ月の違わない北条の血をひく嫡男景虎と、生粋の上杉である妾腹の景勝との間は、二人を推す家臣団の分裂を招いていた。
小太郎は景虎の母に付いて上杉入りをした北条の人間だ。所詮氏康を主とする者。そういう人間が側にいる景虎のことを快く思っていない人間も多い。そういう者たちが景勝を擁立しようと動いていた。

「小太郎、よい」
「謙信公」
「父上!」
「景虎と少し出かける。お前は付いてくるな」
そこに父謙信までが現れる。
上杉の地では謙信の命令は絶対だ。小太郎も謙信の命には逆らえない。
「わかりました」
「景虎、行くぞ」
「ハイ!」

景虎は父謙信を尊敬している。父の善政のおかげで上杉の地は豊かで活気が満ちあふれている。そんな父を見習いたいと常々心がけていた。
その様子に、上杉の家臣たちの中では将来を期待する者がいて当然だ。異母弟景勝も優秀な人材だ。だが力強さがない。優しすぎる。きれいすぎる。その点景虎は力強く組織を率いていくことができる上、目的のためならば非情になることができる。うかうかしていたら、国を乗っ取られるかもしれない世にあって、景勝では役不足であることは否めない。

「景虎」
小高い丘の上で謙信と景虎は上杉の領内を見渡す。
「そなたは、どうしたい?」
景虎はッハ!と謙信をみる。
謙信は景虎の心の内に気付いていたのだ。

景虎と景勝は幼い頃は別々に育てられ、会話を交わすこともなかった。だが、ひょんな事から出会った二人は、周囲の思惑を余所に急速に仲良くなった。親友と呼べる親密さまで。仲の良さと人の善さも手伝って景勝は周囲が何と囁こうとも、景虎が領主ななるのが当然だと思っている。だが景虎は、自分が上杉の領主になった後巻き起こる争いを予期していた。すなわち、自分が領主になれば母の弟氏康が上杉に横槍を入れてくるのは必定。その上、家臣の中で景虎のことを快く思わない者たちが反乱を起こす可能性もある。そうなれば、この平和な地に争いが巻き起こり、上杉の力は弱まる。そこを他の領主たちに狙われないわけがない。景勝とも争うことになるだろう。本当に俺がこのまま領主を継いでよいのだろうか?景勝に継がせるのが一番なのでは?いつも自問自答していた。
別に北条のために動く気は毛頭ない。母は景虎を愛さなかったし、景虎も母を愛せなかった。北条の親類たちも景虎のことは政治の駒としてしかみていなかった。そのような者たちの思惑通りにことを運ばせるつもりはない。
母親との関係のせいだろう。上杉の家臣たちで自分を推す者たちのことも、心の奥底でどこか信じることができない。常に心から信じることができない自分に嫌気がさしながらも、守りたいものだけはわかっている。
親友の景勝。
あいつの笑顔守るためなら----
景勝のことを思い浮かべると、一緒に浮かぶ顔がある。
直江----
友である景勝、いや、譲のお目付役。

景虎と景勝は二人だけの秘密の名をお互いに付けた。景虎は景勝に「譲」と、景勝は景虎に「高耶」と。それは始め、お互いの母や周囲に会うことを禁じられていた二人が、周囲にばれないためにと考えた暗号だった。だがそれはいつしか景虎にとって本当の自分を現す名になっていた。
父は二人の子供を分け隔てなく慈しんだが、いかんせん幼い頃、父は高耶にとってたまにしか会えない遠い存在だった。高耶の周りには、大人たちの思惑はあったが、母親を筆頭に愛情を与えてくれる者は一人もいなかった。愛情を知らない優秀な高耶は大人たちの操り人形だった。そんな高耶が出会った初めての友、譲。彼は母親や周囲の者たちの愛情を溢れるほど浴び育っていた。高耶は譲と出会って初めて愛情というものを知った。そして、高耶にとって愛情を与える者の象徴が直江である。彼は代々上杉に仕える家系に生まれた。そして、高耶に小太郎がいるのと同様、直江は譲の教育係に就いていた。

譲と出会ってほどなくした頃、大人たちの目を盗んで二人で屋敷を抜け出し領内を見て回った後、譲の秘密の場所に案内された。そこは館の敷地内片隅にあり木々に囲まれた静かなところだった。そこで二人で夢中で語り合っていた。だが、大人たちはいなくなった二人を捜していた。大人たちはまさか二人が一緒にいるとは思いもしないため、景虎側と景勝側でお互いに情報を交換しあうことはなかったのが幸いした。二人を見つけたのは当時から譲の行動をもっともよく知っていた直江であった。

「景勝様?」
木々の間から直江が現れた。
「!?」
高耶と譲は驚いて直江の声に振り向く。
「直江!?」
高耶は譲の発した言葉によって、その人物が名前だけは聞いたことのある「直江」であることがわかった。
「景…虎……様?」
直江は景勝と一緒にいた人物の顔を見て驚く。
「ぁ…これは……」
譲は何と言い訳していいのかわからず、言葉に詰まる。
「どうして景虎様と……?」
「直江といったか?すまないな……今日たまたま領内の散策に出かけていたら、景勝殿とお会いしてな。それで少し話すうちに意気投合してしまったのだ」
言いよどむ譲の代わりに、間髪入れず高耶が嘘を織り交ぜた話を醒めた目でする。
直江は子供らしくない高耶の様子に眉をひそめながら譲に視線を向け目で「そうなのですか?」と訊ねる。
「ごめんなさい、直江。でも、俺、前からおかしいと思っていたんだ。何で同じ年の兄弟と仲良くしちゃいけないの?そんなのおかしいよ!?絶対に!!」

感情的に叫ぶ譲に、もし自分が小太郎に見つかっていたら冷静に言い訳をしているのがわかる高耶は、自分と譲の違いを理解する。会ってはならない理由を頭の中でわかっていても、景勝とは、譲とは会いたい。話したい。と思い周囲の目を盗んであっていたのは事実だが、会うなと言われれば会うことを止めていただろう自分も自覚している。
そのように訴えることができる景勝と直江の間にある信頼をうらやましく思う。自分と小太郎の間では絶対に成立しえない関係がそこにはある。

「しょうがないのですよ、景勝様」
「何でだよ!?」
「しょうがない」の一言で済ませようとした直江に譲はなおもくってかかる。景勝が頑固なのはわかっている直江は、仕方なく説明を始める。
「景勝様と景虎様はご兄弟といっても異母兄弟です。お母君のご出身の違いが政治に影響するのです。聞き分けてください」
「嫌だ!!そんなの俺には関係ない!大人の都合だろ!なら、父上に相談するよ!!」
走って謙信の許へ直談判しに行こうとする景勝を直江は慌てて抱き止める。
「景勝様!!」
その様子を高耶はなぜか胸を痛ませながらみていた。
「わかりました……では、こうしましょう。景勝様、景虎様が構わないのでしたら時々はお会いしても構いません。ただし、その時は私も同席させてもらいます」
高耶は直江の助歩の言葉に驚く。
まず反対されると思っていたのだ。それを、自分も同席するのならば会っても構わないなどと……
甘すぎる。

それから直江と譲と三人で月に一回ほどだが会った。そこで、譲に愛情を持って接する直江の様子に、自分の置かれた状況に疑問を持ち始めた。
直江も何回か高耶に会ううちに、高耶の孤独が見えてきた。そして、高耶の寂しさも。それがわかると直江は高耶にも譲同様の愛情を持って接するようになる。
愛や友情、非合理的なものは必要ない。必要なのは完璧なる計算。そうたたき込まれていた高耶は、愛情や友情といったものを知るにつけ、自分にそのことをたたき込んだ周囲に疑問を持ち始めた。
幼い高耶の世界で、高耶に愛情を注いでくれる存在は直江だけ、友情を分かち合うのは譲だけであった。そして高耶にとっては、愛情を注いでくれる直江が絶対の存在になっていた。
それは、親友であるはずの譲に嫉妬するほどに----

「そなたが上杉を継ぐのだ。この地を護れ、景虎----どんなことをしても、な」
「!?」
謙信の言葉に驚く。
どんな形であれ領主にはなるなと言われると思っていた。それが、全く反対の言葉。
「よいな?」
謙信が振り返り、景虎の目を見詰める。
その眼差しに景虎は何か漠然とした予感がよぎる。


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