紫紺の夜明け
 千秋との対面を終え高耶は、口を酸っぱくした直江に注意を受けていたため、寄り道もせず館へ急ぐ。
 その途中、見知った顔を見つけ、思わず立ち止まる。
――あれは
 この時期に見るには不自然な姿。
「追え」
 自分に着いている軒猿に命じる。命に従うか賭だったが、どうやら一人のはずの護衛は二人いたらしい。それらしい男が後を追っていった。
 館に戻った高耶は、早速色部と直江、八海を呼ぶ。
「町に降りた帰り道に、松永を見た」
「松永?」
 ピンとこない名に直江と色部が疑問を浮かべる。
「武田領との境を収める地主だ。一度、父上と視察に行ったおり、会ったことがある。代替わりしたと聞かないから、この時期に城下で姿を見るのは不自然だ」
 取り立てて地主が城下に出向く行事もない。
「松永ですか……」
 高耶の言葉に、八海が考え込む。
「何かあるのか?」
 その様子に、高耶が身を乗り出す。
「よい話を聞かない人物です。しかし、決定的な何かがあるわけでもないため、現在も野放しにされている状況でして……」
「――あの話か」
 高耶も渋い顔をする。
 松永という男。なまじ頭が働くため、尻尾を掴ませないが、常に黒い噂が絶えない。
 この機会に、何か掴めれば……。
「――。少々席を外させて下さい」
 八海が高耶に断って部屋を出ていく。
「景虎様。その件とは別件ですが、実秀をそのままでよろしいので?」
 色部の忠告に、高耶は首を傾げる。
「景虎様から色好い返事が聞けないため、独断で動いているみたいですよ」
 話の内容に思い当たらない高耶は、なおも面に疑問を浮かべる。
 そんな高耶の様子に、色部は嘆息する。
「ご結婚の話です」
 「結婚」の二文字に高耶は驚く。
「オレは承知した覚えはない」
「実秀を煽っている者がいるらしく、あれも景虎様を思えばこそなので、私も強く言えないんですよ」
 その言葉に、高耶は顔を顰める。
「そんな顔をして逃げてばかりおらず、実秀ときちんと話をされて下さい。あいつも話のわからない男ではないですよ」
「……本当にそう思うか?」
 チラリと高耶の視線が直江に向く。
 それを見て、色部も苦笑する。
「ええ。頭ごなしに否定するなら、そのときはこの色部も加勢させていただきます」
「……わかった」
 不承不承の高耶の返事が色部に届いたところで、再び八海が戻ってくる。
「景虎様」
「どうだった?」
 あらかじめ八海の行動の意味を解っていた高耶は、八海を急かす。
「やはり松永は身分の高い者と会っていたようです。尾行した者の話によれば、相手を『平蜘蛛様』と呼んでいた、と」
「平蜘蛛様?」
「その場には松永を含め、三人の人間が居り、一人は家臣の三好、もう一人見慣れぬ者を『平蜘蛛様』と」
「三好ともう一人……」
 その場の者は皆沈黙する。
「平蜘蛛と呼ばれていた者の尾行は断念させました」
「なぜ?」
「尾行していた者が、自分の力量不足を申告してきたので」
「力量不足?」
「尾行しても、気付かれて終わるだろう、と、相手の力量を計ってきました。危険を冒すより、確実な松永を追うことを優先させております」
「わかった」
 高耶が頷く。
「新たな情報が入り次第報告してくれ。行方不明事件と関係あるかはわからないが、関係ないとも言えないからな。三好と松永に軒猿を二人ずつ配備しろ」
「はっ!」
「松永の治める土地の百衣女に、最近の松永の報告を詳細に上げさせろ」
「畏まりました」
 八海は、高耶の命を受け部屋を出ていく。
「聞いていた通りだ。色部さんと直江は三好の動向に注意してくれ」
「わかりました」
 直江と色部、二人の応えに頷くと、高耶は溜息を吐く。
「この件が片づいたら実秀殿ときちんと話をするから、それまで何とかしておいてくれないか?」
 それは、高耶の弱気の頼みだった。
「仕方ないですね」
 色部が苦笑する。
 実秀と色部は年も近く、長年謙信の家臣としてお互い過ごしている。その分、他の者よりも親しかった。
「今回だけですよ」
 色部の言葉に高耶は安堵する。
「頼む」
 領内の問題はこれだけでなく、山積みなことを知っている色部は、長居せずすぐに退室する。
――はぁ……
 よくないと解っていても大きな溜息が出る。
 一番の精神的な打撃は、やはり結婚問題だ。
 したくないと言って許される立場ではないことは解っていても、心は重くなる。
 どうすることも出来ない直江も、ただ高耶を見守るしかない。
「よしっ」
 かけ声を掛けることで、気持ちを入れ替え、高耶は目の前の書類に向かう。それを確認し、直江も自分の仕事に取りかかる。
 しばらく、室内には時計の音とペンの音だけが響いていた。


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