紫紺の夜明け
「は…ぁ……」
空も真っ暗になる頃、ようやくその日のノルマが終わり、高耶と直江は一息吐く。
「切りが付きましたら、食事にしましょう」
直江が高耶に言う。
「ああ」
いつも通り、私室に引き上げ、用意された食事を平らげる。
「お風呂に入ってゆっくりして下さい」
「ん……」
直江の言葉に、風呂好きの高耶は早速浴室に足を向けゆっくりと湯に浸かる。その間一人。きっと直江も自室のシャワーを浴びているのだろう。いつも、高耶が夜着を纏い浴室を出ると、部屋は整い、直江の就寝の準備もされている。
「ああ…また」
生乾きの髪の毛で浴室から出てきた高耶に、直江は溜息を吐く。
「座って下さい」
高耶を椅子に座らせ、乾いた布を取り出す。
「いつもちゃんと乾かして下さいと、言っているじゃないですか」
「いいだろ――直江がしてくれるんだし」
高耶の言葉に一瞬手を止めた直江は、何事もなかったように高耶の髪を拭き続ける。
「私は貴方の乳母じゃないんですよ」
冗談めかして、苦笑する。
それに笑えないのは高耶だ。
高耶にとって直江は母や乳母の代わりではない。いまだ直江の気持ちに応えられていないが、そういう対象だと意識しているのだ。そんな直江から、そんなこと言われても、高耶はどう対処してよいのか判らない。
「冗談が過ぎましたね。さ、髪も乾きましたから、湯冷めしないうちに布団に入って下さい」
高耶の戸惑いを敏感に察した直江は、さらっと話をすり替える。高耶に恋の駆け引きはまだ早い。それがわかっていても、つい仕掛けてしまうのは、本能が焦れている証拠。
まだまだ俺も修行が足りないな。
心の中で、自嘲しながら高耶を促す。
「さあ」
ベットに高耶を寝かしつけながら、直江はジッと高耶を見詰める。この、大人になりきれない心と体に、どれだけの責任を背負っているのか。けれど、周囲は高耶の成長を待ってはくれない。必死で背伸びする高耶に、更に上を要求する。そのうち、背伸びしても届かなくなったら……と思うと、直江は不安定な今が怖い。
よい種も充分な水と肥料がなければ芽吹かない。今の高耶は、その水と肥料を慌てて吸収している。種を熟成させる間もなく、芽吹くことを要求されて、よい花を咲かせることが出来るのか。
もっと信頼できる部下と家臣ばかりだったらと、無い物ねだりだと解っていても願わずにいられない。
突っ張って平気な顔をして、直江に出来ることといったら、プライベートで煩わしいことを排除し、仕事で少しでも負担を減らすことくらい。それが、どのくらい高耶の力になっているのか。
寝息を立てる高耶から離れようとした直江は、けれど、掴んで離さない高耶の手に気付く、
上着の裾を固く握りしめられており、どうすることも出来ない。
「仕方ないですね」
昼の結婚話が高耶を不安定にしたのはわかっている。普段ならこんなことはないが、不安になったとき、高耶は直江を側から離したがらなくなる。今日もそんな夜なのだろう。
広い高耶のベットへ直江も身を寄せる。
明日目覚めた高耶は驚くだろうが、安心した顔で眠る高耶を邪魔したくない。直江にとって、一晩横にある体温は拷問にも等しいが、高耶の安眠のため。
愛しい者の幸せのためならば耐えることなど容易いこと。
「よい夢を」
温かい温もりを抱きしめ、直江も瞼を閉じた。
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