Backgroun by cool moon

「直江!!」
「色部さん…」
 足早に廊下を歩いていると直江は色部に声を掛けられた。
「景虎殿の容態は?」


 崖下へ落ちた高耶は奇跡的に助かった。奇跡、と言ってよいのか?あのとき崖下へ落ちた高耶は、”力”が無意識下で自身を守るために働いた。気を失っていたのが幸いしたらしい。本能が自分を守るために働いたということだ。
 直江は八海に命じ軒猿を動かしたが、それより早く小太郎が単独で動いていたらしい。八海たちが高耶を発見する前に、その腕に高耶を抱いて小太郎が現れた。高耶は気絶していたが、目立った外傷もなく生きていたことに直江は安堵した。そして、高耶を当然のように抱く小太郎に、激しい嫉妬が心の中を荒れ狂うのを実感した。
 当然のように高耶の状態を説明する小太郎。高耶の幼い頃から教育係として側にいたことを考えると、小太郎が高耶のことに詳しいのは当然のことである。しかしそれさえも直江には許せなかった。
 強引に高耶を小太郎から奪い、医師に付き添わせて自分の部屋の隣の高耶の部屋のベットへ連れて行く。医師の診察の結果、外傷もなく大丈夫だ、と聞き一つ息を吐く。直江は周りが怪我をしているのだ、おとなしく寝ておけ、というのも聞かず高耶の横で高耶が目覚めるのを数日待った。しかし、いくら待っても高耶は目覚めない。まるで目覚めるのを拒否しているようであった。夢でも見ているのか、ベットの中、たまに幸せそうに微笑む高耶がいた。その表情を目にした直江は苦しい表情を浮かべる。


 夢の中がこの人にとって一番幸せなのかっ!?…現実は…
 もう目覚めないのでは?
 このまま夢の中で過ごした方がこの人は幸せなのでは?


 高耶の側に座り、日がな高耶を見詰めていると気が狂いそうになる。けれども、目覚めたとき他の誰でもない、自分が高耶を一番に抱きしめてやる。そう心に決めいている。
 直江は数日そうして過ごした。しかし、そうも言ってはいられない状況が生まれる。景虎の存在は上杉にとって大きすぎた。景虎が通常こなしていた政務だけでも何とかしなければ、上杉の領内が立ちゆかなくなっていく、そんな状況に陥り、直江が処理に奔走しなければならなくなっていた。色部が景虎の穴を埋めようと奔走していたが、色部一人ではどうしようもない状況であった。そうして、色部と共に直江は景虎の不在を埋めるため、景虎の側を離れ政務を執り行い、崩れそうになる家臣の結束を辛うじて繋げていた。


「変わりはありません…」
 直江は覇気のない声と、疲れた表情で答える。
「そうか……」
 色部も視線を下に落とす。
「もしこのまま景虎殿の意識が戻らなかったら…」
「色部さんっ!!」
 直江は悲鳴のような声で色部の言葉を遮る。
「そんなこと言わないで下さいっ!!あの人がこのまま終わるはずがない…っ!」
 直江は声を詰まらせ俯き打ち震える。
「すまない」
 色部は直江の様子に伏し目がちに謝罪する。
 直江が諦めていない以上景虎は戻ってくるのではないか、そんな根拠のない希望を持ってしまうほど、今回の件には色部もまた、困惑を感じていた。
「いえ、こちらこそ大声を出してしまって申し訳ありません」
 直江は硬い表情で、表面上色部に謝罪する。


 景勝の件は八海を問いつめ口を割らせた。初め八海は固く口を閉ざしていた。しかし、今回の景虎の件、景勝の死に関することがきっと景虎の目覚めを妨げる原因だ、などと適当なことを言い、情を突き、直江は八海に口を割らせた。
 あの事件の真相は…
 景勝の死は自分の死期を悟っていた謙信公が、八海にその指示をしていたというのだ。それをなぜ景虎が見抜いたのかはわからない。しかし、謙信が死んで初七日も過ぎない頃、八海は謙信の遺言となってしまった、あの家臣たちを集めた会議の「後継は景虎に」という一言のもと、景虎が一応家督を継いでいた。しかし、上杉の内部では景勝を担ぎ上げよう、という動きがすでに出ていた。その動きをもっとも確実な方法で潰すため八海は景虎暗殺のため暗躍していた、というのだ。秘密裏に動き出したのは謙信公が死んだ直後だという。謙信が死んですぐ景勝も死んでは、景勝の死は証拠がなくとも景虎の仕業にされてしまう。そのため、裏で反景虎派の動きを操りながら景勝暗殺の機会を狙っていた。景勝が強固に景虎が家督を継ぐのが相応しい。自分は景虎を追い落とし家督を得ることなど望まない、と言い張ったことも反景虎派の出鼻を挫く結果となった。そうして謙信の死後十分な準備期間をおいて景勝暗殺を決行したという。
 しかしその暗殺の決行前夜、景虎が八海を呼び出した。呼び出しの原因を予想していなかった八海は突然の景虎の言葉に驚いた。景勝を殺すのだろう?第一声がそれだったという。景虎の厳しい眼差しと言葉に八海は全てが露見していることを悟ったという。
 景虎は直接景勝暗殺に荷担していたわけではなかったことに安堵している自分がいた。景勝の死を謙信が命じていた、ということにはショックを受けたが、それ以上に景虎の直接関与が否定された安堵は大きかった。自分の中で景勝が遠くなっているのを自覚した瞬間とでもいうか。景虎を優先する自分がいた。
 その後、医師の中川にも話を聞いた。なぜ自分が尋ねていったとき、あのような態度をとったのか?その疑問の答えを得るために。中川も生前の謙信に自分の死後すぐに景勝が死んだら暗殺を否定する死因を皆に告げるのだ、と命じられていたといった。
 全ては自分の死後を憂えた謙信の画策だった。それなのになぜ景虎は執拗なまでに知られるのを恐れたのか?それが直江にはいまだわからない。


「直江?」
 一人物思いに耽る直江に色部は声を掛ける。
「景虎様の様子を見てきます」
 直江は高耶の顔を見たくなった。直江は色部に背を向け歩き出す。


「景虎様…」
 そこには高耶が幸せな顔で横たわっていた。
「…高耶さん……」
 直江は大きな声を出すことができず、高耶の名前を呟く。
「どうしたら目覚めてくれるのですか?」
 優しく高耶の頬を撫でる。
 先ほど直江が開けた窓から夜風が入り込む。
「高耶さん…っ」
 喉の奥から声を絞り出し、高耶の体を抱きしめる。
 眠り続けて数日。まともな食事を摂っていない高耶の体は痩せ細っていた。
 このままでは死んでしまう…
「お願いしますっ!…お願い、目を覚まして……」
 直江は何かに縋るような声で訴える。


 高耶は夢を見る。幸せな夢。
 自分がいて譲がいて直江がいて謙信がいて。
 みんなで幸せに暮らす夢。
 直江は優しく自分を見詰めてくれる。
 憧れた眼差しを、自分にも向けてくれる。


 幸せな夢。


 突然周囲が暗転する。





 なんだ――?
 ここはどこ?
 みんなは?

 高耶の姿は幼い頃に戻っていた。
 一人の自分に震えていたあの頃に。

 あぁやっぱりオレは独りなんだ……
 誰もいない……


 大丈夫よ、景虎。

 遠くから声がする。

もうあなたは一人じゃない。ほら……呼んでるわ。

 美奈子――?

 行きましょう?


「高耶さんっ!?」
 直江は高耶の腕が動くのを感じ、慌てて高耶の顔を見る。
 そこには今まさに目を開けようとしている高耶がいた。
「な…おえ?」
 薄く開いた視界に直江が写ると、高耶は子供のように透明で幸せな笑みを浮かべた。
「本当に…いた」


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