「景虎様!」
色部は景虎の執務室へ入ると、そこには入り口から背を向け外を見詰める景虎がいた。
色部は振り向いた景虎の瞳が、一瞬真っ赤に染まっているように見えた。だが、景虎が一回瞬きをすると、赤く見えた瞳は、黒でしかなくなっていた。
「どうした?」
どこか呆然とした色部に景虎は問いかける。それにより色部はハッと現実に戻り、重大な報告があったことを思い出す。
「景勝様が突然お亡くなりになったと…」
まだ、そのことを色部自身信じられずにいるが、部下の報告そのままを景虎に伝える。
「なかなか起きてこない景勝様に、守り役の直江殿が起こしにうかがったところ、眠るようにお亡くなりになっていた、と」
「そうか」
景虎は冷静に報告を聞く。そこには何の感情も浮かんでいなかった。
そのことに色部は違和感を覚える。
いつの頃からか、景虎と景勝の仲は周知の事実となっていた。周囲がいくら苦々しく思っていようと、二人はまるで親友のような関係だった。
その景勝の死を聞き、なぜこれほどに冷静なのか……
まさか……!
色部はある恐ろしい推測に思い至る。だが、浮かんだ端からその考えを否定する。報告によると、景勝の死は不審な点を見つけようもないほどの、突然死だった。暗殺や毒殺の類では断じてない、そう、景勝の主治医が断言した。
「報告はそれだけか?」
「はい」
感情のこもらない声色で尋ねる景虎に、色部も職務上感情を交えず応える。
「景勝の母上はどうしている?」
「あまりのショックに体調を崩されたようです」
「喪主を務められないほど悪いのか?」
眉をひそめながら尋ねる。だが、その表情は景勝の母の容態を心配するものでなく、面倒ごとが増えたことへの嫌悪であった。
景勝の母が喪主を務めることができなければ、その仕事は景虎にまわってくる。しかし、現在の景虎は謙信から引き継いだ仕事で、激務を強いられている。仕事は少ないにこしたことはなかった。
「はい、景勝様の葬式を執り行うのは無理だと……」
「そうか……すぐに葬式の準備に取りかかってくれ。ただし、式は質素に執り行う。景勝方の者たちが文句を言ったら、父上の葬式より豪勢に行うわけにはいかない、と言えばよい」
「わかりました」
色部は早速準備に取りかかるため、部屋を辞した。
「色部殿!さすがは我らの主、景虎様ですな。取り乱すことなく立派に喪主を務められておられた」
葬式が終わると景虎方の家臣が声をかけてきた。その声に、景勝方であったはずの者たちも数人満足げに頷いている。彼らも、別段景虎の力量に不安を感じていたわけではなかった。ただ、北条と繋がりの強い景虎がいつ北条に上杉を売るとも限らない、そんな思いから景勝擁立を狙っていたのだ。しかし、謙信の跡を継いで、北条と取り立てて懇意にする様子もみせず、上杉の領民のためには北条の不利益になることも進んで行っていた。領民の評価も高い。そこに、景勝の死だ。景勝には子もなく、兄弟もない。景虎に言い掛かりを付ける隙もない死に、景勝方にも景虎を認めるしかない、という気運が高まっていた。皆が景虎を期待し、盛り上がっている中、色部だけが漠然とした不安を抱えていた。
直江は、突然の景勝の死に、どこか信じられない気持ちでいっぱいであった。
前の晩、いつも通りに景勝と別れた。その時には死の兆候など景勝のどこにもなかった。それが突然----
景虎様もどれほど悲しんでおられるか……
景勝と景虎の仲を一番身近にみていた直江だ。景虎の不器用な優しさや繊細さも知っている。三人は一種、共犯者めいた関係だった。直江にとって、ただ一人、一緒に悲しみを分かち合うことのできる相手が景虎である。
喪主を務める景虎の冷静な様子を、直江は悲しみを隠しているのだと想像していた。冷静な仮面の下には、悲しみ泣きじゃくる子供が潜んでいるのだと。
景勝の教育係でありながら、いつも景虎のことが気になって仕方なかった。抱える孤独を癒してあげたい。温めてやりたい、常に思っていた。
だから、夜、本来訪れることのない景虎の自室を訪れた。
景勝のいない今、景勝方も景虎方も意味のないものだから。
自分に言い訳を与えながら、訪れた部屋の前で----
「景虎様」
ちょうどドアを少し開けたところで、中から小太郎の声が聞こえる。
小太郎の存在に、中にはいるのが瞬間躊躇われた。そのままでいると、景虎の声も聞こえてくる。
「なんだ?」
だが、聞こえてくる景虎の声は疲れ果てている。そのため、そのままどうするか逡巡してしまう。後に、このまま聞き続けたことを後悔してしまうことも知らず。
「景勝様の件、あなたの仕業ですね」
「だとしたら、どう、なんだ?」
「いえ、景勝様の死は、あなたにとってプラスにこそなれマイナスになるものではありませんから」
どう…いう、こと……だ?
「俺にとってではなく、北条に、とってだろ?」
「ただ、極力”力”は使わないようにして下さい。切り札は最後まで取っていてこその切り札、ですから」
「お前たちの欲しているのは、上杉の領地と俺の”力”だけだろう。俺を暴走させたくなかったら、せいぜいおとなしくしておくんだな」
「純粋に氏康様たちははあなたのことを心配しているだけですよ」
「戯れ言はいい…今日は疲れた。休むから下がってくれ」
「はい」
小太郎が入口まで来る。
早くこの場を去るのだと頭の中で警鐘が鳴るが、動けない。
そうこうするうちに、入り口のドアが開けられ、小太郎と鉢合わせしてしまう。
「これは…直江殿ではありませんか。なぜ貴殿がここへ?」
小太郎はわざとらしく今その存在に気が付いたと、声に出して景虎にも直江の存在を知らせる。
小太郎ならば、部屋の外の直江の気配を見落とすはずがない。本来景虎も見落とすはずがないのだが、今回は疲れすぎていて気配に気を配ることを忘れていた。小太郎がいたから、という部分もあったが。小太郎ならば、大事な駒である自分に不利になる状況を作るはずがないと気を緩めていた。
「な…おえ……」
扉の向こうで景虎が呆然と呟く。
「直江殿。景虎様は大変お疲れだ。早々のお引き取りを願います」
小太郎は一言、直江に向けて言うと、その場を早々に去る。
「今の話はどういうことですか?」
直江は部屋に入りドアを閉め、固い声で尋ねる。
先ほどの会話の内容では、景勝を殺したのは景虎だということになってしまう。信じられない思いで尋ねる。
「どういう、って?」
歪んだ表情で高耶が聞き返す。
「景虎様、景勝様を殺したのはあなたなのですか!?」
自然声が大きくなる。
「なぜそう思う?証拠は?」
「証拠はっ……」
先ほどの会話から推察しただけで、景虎も自分がしたなど、一言も言っていない。
「妙な言い掛かりを付けないでくれ」
冷徹な言葉に、直江は先ほどの考えも吹き飛び、憎しみが湧いてくる。
「直江、頼みがあるのだが……」
「何、ですか?」
ぬけぬけと言う高耶に、硬い声が出る。
「お前、景勝が亡くなり、仕事がないだろう?明日から、できたら俺の仕事を手伝ってくれ」
何を言っているのだ、この人は……
言葉の通じない、異星人と相対している気分だ。俺が承諾するとでも?
「あなたには、小太郎殿をはじめ優秀な人材がいるではないですか。それなのに、なぜ俺を指名するなど……」
「小太郎をはじめ、皆確かに優秀だ。だが、上杉のために動く者は少ない」
お前ならば、上杉を裏切らないだろう?
言いたいことはわかる。だが、景虎に仕える気になどならない。
「お断りします」
「……では、今後どうするつもりだ?」
問われても、まだ何も考えていなかった。何も答えられない。
「答えられないのであれば、納得できないな」
「お断りします」
同じ返事を繰り返すだけだ。
「まあいい。では、これは命令だ。そなたも上杉の家臣ならば従うんだ。いいな」
拒否を受け付けない、絶対の響きを含む声。上杉の領主の景虎に命じられれば、家臣ならば絶対服従が掟だ。承知するしかない。
「わかりました」
景虎はその返事を聞くと、直江に背を向け窓の外の月を見上げた。そこには赤く光る月が瞬いていた。
振り向く気配のない景虎に、言葉を掛ける気も浮かんでこない直江は、黙って部屋を辞した。
ドアの閉まる音に、高耶は振り向く。
そこにはすでに直江の姿はなかった。しかし、いないその場所を見詰めながら、高耶は苦しそうな表情で立ちつくしていた。
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