「景虎様……」
書類の決済等を景虎が執務室で行っていると、情報局の局長、八海がやってきた。そこでは直江も景虎と一緒に書類整理を行っている。以前よりも良好な関係を築いている二人だ。
「何かあったか?八海」
「用水路の技術者の件、所在が判りました」
「そうか!?」
景虎がうれしさを滲ませた声で続きを促す。
「こちらが、技術者の身上書と所在地です」
八海が数枚の書類を手渡すと、景虎はそれに早速目を通し始めた。
「安田……長秀??って、もしかして?」
景虎が八海を見上げる。
「ええ、重鎮の一人、安田氏のご子息のようです」
「やはり」
「安田長秀とは、安田実秀殿のご子息で行方不明の長秀ですか?」
直江が景虎に尋ねる。
「ああ、どこで何をしているのかと思っていたんだが……あいつらしいといえばらしいけどな」
「八海ご苦労だった……と、そう言えば直江にはまだ話していなかったな」
何をです、と直江は視線で景虎に尋ねる。
「情報局の仕事内容は知っているな?」
「ええ、国内外の情報を逐一集めることですよね」
「景虎様、そこからは私が説明します」
八海が景虎に言う。
「情報局内には、”軒猿”と呼ばれる諜報機関があるんです」
「軒猿?」
「ええ、上杉家の家臣の中でもごく一部の者しか知らない組織です。多くの者たちには内密にされています。軒猿は、各地の潜入操作や、工作などを秘密裏に行う組織です。内部の者たちへ”軒猿”の存在は内密にされています。何か感づいている者もいるでしょうが」
「家臣の大半が知らないのですか?その軒猿は」
実際、直江は全く知らなかった。
「ああ、なにせ軒猿の仕事には家臣の監視など、裏切り者の探索なども含まれている。それには、知られていない方が便利だからな。あと、軒猿の他には白衣女という、各地に定住して、上杉のために情報収集を常にしてくれている者たちもいる。白衣女に関しては、彼ら彼女たちが不利な状況にならないように最重要機密になっているから他言無用だぞ」
景虎が、今まで直江が知らなかった上杉の闇の部分を明かしてく。
「かくいう私も、昔は軒猿頭と呼ばれる、軒猿を束ねる立場にいました。現在は八神という者が務めています」
八海が続ける。
「八海、ありがとう。下がってよいぞ」
景虎が八海を下がらせ、扉が閉まるのを確認すると景虎はまた口を開く。
「直江、小太郎には気を付けろ」
嘆息しながら告げる。
「?」
直江はいきなりのことに驚く。小太郎といえば景虎のお目付役であった男だ。他の者が言うならばまだしも、景虎が言うなど。
「小太郎は風魔の頭領だ」
「風魔、というとまさか!?」
あまりにその優秀さで悪名高く、直江でも風の噂で聞いたことがある存在だ。
「そうだ。北条の諜報機関の風魔の現頭領だ、あいつは」
「まさか----」
そんな危険な人物が上杉内部に近い位置にいることを知り、愕然とする直江である。景虎のお目付役の任からは外れたが、今現在も景虎の母の側近くに仕えている。上杉内部を探ろうと思えば探れる位置にいる。それでなくても、風魔の優秀さは近隣に轟いている。
「小太郎には上杉の弱みは一切みせるな。いいか?」
景虎は厳しい眼差しで直江を見やる。
「御意」
直江も心を引き締めて応える。
「ということで、早速長秀のところへ行くぞ!」
「え!?」
直江は何が、ということで、なのか?と驚いた表情になった。
「え、じゃない。用水路の件なるべく早く設計を終わらせなければいけないだろう?」
「確かにそうですが、長秀相手でしたら誰か人を派遣したらよいでしょう?何もあなたが出向くことはありません」
キッパリ直江は言いきる。
「あの長秀が、人を派遣して頼んだことにイエスと言うと思うのか?」
痛いところを衝いてくる景虎の指摘に、安田長秀の人となりを知っている直江は言葉に詰まる。景虎が長秀と交流があったとは初耳だったが、ある程度長秀の性格を把握しているようだ。
「………わかりました。しかし私もご一緒します」
「ああ」
まぁ、しょうがないだろうと、同行を許可し、景虎は早速机の上を片付け、外出の準備を始める。景虎たちの服装は派手とは言えないが上等な素材を使っている。それでは館の外では狙ってください、と言っているのと同じだ。大衆に紛れることができる質素な服装に着替えに自室に行く。部屋の前に着くと、景虎は立ち止まり直江を振り返る。
「直江、お前も着替えてこい」
「わかりました」
お互い部屋に入る。
「慣れてますね」
直江が裏界隈を迷うことなく歩いていく景虎に純粋に驚きながら言う。
「領主としては、領地の裏の部分も知る必要があるだろう?」
景虎は周囲に聞こえないよう、いたずらっぽく小声で答える。
「こっちだ」
景虎が酒場に入っていく。表通りでも決して治安がよいと言えるところではない。それを、上杉の領地でも闇の部分といわれる界隈だ。そこにある酒場などもっとも質の悪い場所だ。しかし、景虎は慣れた様子で中に入り、店の人間たちと顔見知りなのか、挨拶を交わしている。
「あれ!?高耶じゃねーか?最近顔出さなかったじゃねーか」
景虎と同年代だろう軽そうな少年が声をかけてきた。景虎と親しそうだ。
「やっぱいたな、矢崎。忙しかったんだよ」
高耶は矢崎が座っている席の向かいに座りながら尋ね、視線で直江に隣に座るよう促す。
「へ〜」
矢崎は信じてないのがありありとわかる返事を返す。
「矢崎、お前千秋修平って奴知ってるか?」
高耶は直江を連れて長居をしたくないため単刀直入に用件を尋ねる。
「ああ、千秋かぁ〜知ってるけど、それがどうしたんだ?」
矢崎はあっさりと言う。
「会いたいんだけど、ツナギつけれないか?」
「いいぜ、高耶の頼みだ。その様子じゃすぐに会いたいんだろ?ついてこいよ」
「助かるぜ……」
高耶は矢崎について立ち上がり、矢崎の分の勘定を礼代わりに払ってやる。
矢崎は高耶とたわいのない話をしながら裏路地を歩いていく。直江は二人の様子を眺めながら離れすぎない位置を付いていく。
直江にとって高耶の様子は意外だった。初めてみる姿だ。このように俗世に交わり、普通の表情をする景虎など誰も想像すらできないだろう。
「こっちだ」
矢崎が古びた二階建ての建物の外付けの階段を登っていく。
「千秋ーー!!」
ドンドン古い扉をたたく。たたいた拍子に今にも外れそうな扉だ。
暫くたたくが人がでてくる気配はない。
「いないのではないのですか?」
見かねた直江が矢崎に声をかける。
「いるって!!大丈夫大丈夫」
さらに矢崎は扉をたたく。
「……うっせえなぁ!!誰だぁ!?」
苛ついて寝ぼけた、ウエーブのかかった長髪の男がうっそりと出てきた。
「矢崎、お前……」
千秋は腹から唸り声を出す。
「お前に会いたいって奴連れてきたぜ」
矢崎は千秋の不機嫌など気にせず脳天気に自分の用件を伝える。
「あぁ?会いたい奴ぅ?」
千秋は矢崎の後ろに視線をやる。
「誰だ?お前ら」
千秋は瞬時に意識を覚醒させると警戒を強める。
「覚えてね〜か?長秀」
「ぁあ?って景虎か!?」
「久しぶりだな」
ようやく自分の存在を認めた千秋に景虎はにっこりと笑う。
Back Novel Home Next