「何しに来たんだ?」
千秋は心から嫌そうな声を出す。
千秋と高耶が知り合いであり、千秋の不機嫌な雰囲気に気付くと、矢崎はとばっちりを受けてはかなわないと、「じゃ、オレは…」と言い置き、とっとと退散を決める。
高耶は背後で矢崎が走り去るのを感じながら、千秋の正面に立ち泰然と言う。
「中には入れてくれないのか?」
暗にオレに立ち話をさせる気か…という含みを持たせながら言う。
千秋はムッとするが、人通りが少ないと言っても皆無ではない通りから丸見えの状況は、自分としてもよい事ではないので、仕方なしに部屋に招き入れる。
「茶なんかださね〜からな!!」
適当にその辺に座れと二人に吐き捨て、水で寝起きの喉を潤す。
「ふぅ…」
一息吐いた千秋は、二人を振り返り、単刀直入に話を切り出す。
「で?何のようでしょ〜か?景虎様」
その言い様は多分にからかいを含んでいて、直江が叱責の言葉を吐こうとしたところを高耶が止める。
「頼みがあってきたんだが」
「ハッ!頼み?それが人に物頼む態度かよ?」
千秋のチャチャを高耶は黙殺し、用件を切り出す。
「領内の北の用水路建設の件、知っているだろう?それがどうも技術者の力不足で難航している。お前の力を貸してくれないか?」
「何でオレが……」
嫌そうな声を出す。
「お前なら、できるだろう?」
「……」
「自信が…ないのか?」
わざと間をおきながら語りかける。
「そんなわけあるか!!わ〜たよ!!!すりゃいいんだろう!!!」
千秋は憮然として髪をガシガシと掻きむしる。
「そうか…助かる」
数瞬沈黙が三人の間を漂ったが、千秋の声により破られる。
「で!今どうしてるんだ!?お前はら」
「「??」」
二人怪訝な表情になる。千秋が尋ねる意図が掴めない。
「景勝にひっついてた直江が、景勝の死後景虎の側付きになったんだろ?よくお前ら平気だな」
その言葉は、どこか不穏な内容を含んでいる。一般に知られている景勝の死亡の状況では、景勝の死が景虎と直江の関係に直接影響を与えるものではあり得ない。それとも単に、景勝方と景虎方の確執のことを言っているのか。
「どういう……」
「当たり前だろう…景勝方、景虎方関係なしに協力しなければ、他国からこの国は護れない。オレたちが協力しないで誰が協力する?」
直江が千秋に言葉の真意を問いただそうとすると、景虎が遮る。
その不自然さに直江と千秋は高耶に探るような視線を向けるが、直江は高耶を鋭く見詰め続け、千秋は何かを感じ取ったように視線を外すと、途端話題を変えた。
「お前ら北条が動いているらしいぞ」
声を潜めて言う千秋に、高耶と直江はハッと顔を千秋に向ける。
「どこからその情報を?」
景虎は眉をひそめ千秋に情報の出所を尋ねる。軒猿からはそのような報告を受けていない。軒猿でさえ掴んでいない情報を千秋が持っている事への不自然さがある。
「ちょっと、な。遠近に気を付けろだとさ」
出所については言葉を濁す。
千秋が言おうとしない事は、無理に聞き出そうとしても逆にますます口を閉ざす質だと知っている二人はあえて情報の出所を尋ねない。
「遠近、だな…」
「ああ」
高耶は目に力を入れ千秋に確認する。
千秋は出所について何も言わないが、偽の情報を掴ますような人間ではない事は二人とも知っているため、その件について軒猿を使い探りを入れる事を決める。
「そういうことなら」
高耶は立ち上がり「悪いが今日は帰る。できたら明日にでも館に来てくれ」と千秋に言い置き、直江を連れて館に戻る。
景虎が館に戻ると、主の帰還を待っていたのか、八海がすぐに側に近づいてきた。
「お帰りをお待ちしておりました」
言いながら頭を下げる八海と一瞬視線が合う。その一瞬で何事かあったことを感じ取った景虎は、直江に服を取りに自分の私室へ行くよう命じ、八海を従え執務室へ足を向ける。
「何があった?」
執務室の扉が閉められたのを見届け、景虎が口を開く。
「はい。どうも最近お母上の様子がおかしいようです」
「あの人の?」
途端、景虎の顔から一切の表情が消える。まるで、能面のような無表情だ。
「どうも頻りに北条の氏政殿と連絡を取っているご様子で…」
「北条と、ね……」
景虎は何事か考え込む。
「家臣の中に不審な動きをしている者はいないか?」
「家臣の中に、ですか?」
「ああ」
八海は数瞬記憶を探る。
「目立った動きは報告を受けていませんが…」
「遠近を軒猿に見晴らせてくれ。そして、何かあれば報告を。母上の方もそれとなく監視してくれ」
「遠近殿ですか?何かございましたか?」
「どうやら不審な動きをしているらしい。母上の動きと関係あるのかもしれない。目を離すな」
遠近の件は軒猿は全く掴んでいなかった。怠慢を指摘されたようで、八海は胸中で慌てながら、表面上冷静に頷く。
「わかりました」
一度頭を垂れるが、すぐに顔を上げ言葉を継げる。
「それと…」
八海は言いにくそうに言葉を濁す。
「何だ?」
「景勝公の件、どうも武田が掴んだようです」
八海は直接表現する事を避けたが、景勝の件と言えば、二人の間では死の真相を指すのが常だ。
「武田が?……一体どうやって?」
あの件の本当の意味での真相を知っているのは、景虎自身と八海のみだ。外部に漏洩する可能性など皆無のはずだ。
「どうやら高坂殿が動いたようです」
「高坂…?」
その名を聞き、景虎は眉を顰める。高坂は武田の主、武田信玄の右腕とも言える人物だが、その情報網は隣国にも及んでいる。一説によると、情報源はカラスであるとか。
何を企んでいるのか?
心の中で不審に思いながら、八海には高坂の動向にも注意を払うよう命ずる。
二人、執務室に入り十分程度たち、話も終わった頃、直江が高耶の服を運んできた。
「お待たせしました」
「では、景虎様。私はこれで」
「ああ…何かわかったら教えてくれ」
ノックをして入ってきた直江と入れ違いに八海は部屋を出ていく、
「八海殿とは何を?」
「内部で不審な動きがあるらしい」
「遠近殿の件ですか?」
眉を顰めながら直江が思い当たることを尋ねる。
「それもある」
「それも……?」
「北条、武田の動きがおかしいらしい」
「北条と…武田も……ですか」
上杉の領地に隣接する大国二カ国の動きがおかしいと聞き、直江は信じられない思いになる。
「武田の方も気になるが、北条の方が要注意だな」
「北条が……ですか?」
「ああ。どうも母上も動いているようだ」
まったくあの人は…と冷たく吐き捨てる。
「高耶さん」
自分の母親に対するいいように、たしなめるように直江が言う。
「コンコンコン…」
誰かが扉をノックする。
「誰だ?」
「景虎様…」
使用人の声が聞こえてきた。
「どうした?入れ」
「景虎様。お母上様からの伝言にございます」
「何だ?」
母親からの伝言、と言われた時点で嫌な予感がしたが、先を促す。
「今夜の食事をぜひご一緒したいそうでございます」
「……わかった」
高耶は断りたいが、断る事ができない立場であるため渋々承諾する。
母親の食事の誘いを子が断る事は外聞もよくない。それも、景虎ほどの立場の者が断るとなったら、いつ何時、難癖をつけられないとも限らない。
それに、この時期の食事の誘い。裏が必ずあるはずだ。母親の様子を探るよい機会だと自分を納得させる。
「では、夕刻、お迎えにあがるとのことです」
使用人は景虎の返事を伝えるため、早々に部屋を辞す。
「高耶さん…」
直江は知らず責めるような口調で高耶を呼んでいた。
「しょうがないだろ」
高耶も不機嫌そうに応えると、デスクワークの処理に取りかかった。
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